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サザンオールスターズ
大学生になったばかりのころだったと思う。あるいは高3か浪人していたころか。(今調べたら、やはり大学生になったばかりのころだ)
沢田研二の「勝手にしやがれ」や「TOKIO」、そしてピンクレディの楽曲がテレビからよく流れていた。
そしてこの頃、
サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」がヒットチャートを駆け上っていった。
黒柳徹子と久米宏が司会をするザ・ベスト10は時々見ていたが、サザンが初めて出演した(と思う)ときのことはかすかに覚えている。
また変なバンドがでてきたな・・・^_^;
仲の良かった友人が、このサザンのアルバム「熱い胸さわぎ」を聴いて、「なかなか面白い」というので僕も聴いてみた。
そしてそれから「kamakura」までの10年近くは、サザンの出すアルバムはすべて購入、カセットテープに録音し車を運転しているときによく聴いた。
熱い胸さわぎ(1978年)~10ナンバーズ・からっと(1979年)~タイニイ・バブルス(1980年)
まさに大学生の4年間社会人執行猶予中の身分で、バイトや恋愛、そして勉強とそれなりに何とかしていたころ。
この頃のサザンを聴くと、夏の信州をドライブしていた場面を思い出す。
2組のカップルで、信州まで別荘を借りて遊びに行ったり、小奇麗なペンションめぐりをしたり、白馬や乗鞍、立山連峰や黒部ダム、安曇野の塩の道などがよみがえってくる。
夏のドライブに、そして夏というのは思い出に残る出来事が多い季節でもあるのか、こういったときサザンの曲はぴったりだった。
若くて、元気がいいけど、まだまだ荒削りという印象は強い。でも、そこがまたサザンの魅力だった。
ステレオ太陽族(1981年)~NUDE MAN(1982年)
大学卒業と同時にそれまで付き合っていた彼女と別れ、司法試験に懸命になった2年間。
高校時代の友人とたまに気晴らしのドライブ。デートだったのか、そうでないのか。遊園地に行ったり、琵琶湖を1周したり。夏の盛りには琵琶湖に他の友人たちも一緒に泳ぎに行ったり。
そんなときに、車の中に流れていたのは、ステレオ太陽族やヌードマンのアルバム。
だから、「DJ・コービーの伝説」や「思い出のスターダスト」を聴けばあのときの彼女まで思い出してしまう。
今頃どうしているのか。
桑田さんと原さんのラブストーリーを歌ったと、当時評判でしたね。
僕が一番好きなアルバム。思い出のスターダストを聴くと、今でも泣けてくる。
綺麗(1983年)~人気者で行こう(1984年)
3度目の挑戦でもダメだった僕は、経済的な理由から就職。少しはまっとうに働き始めた。
このころひょんなことから知り合って付き合い始めた彼女がいた。
ドライブデートが多かったが、遠出することはあまりなかった。
休日、何となく一緒にいることが多かった。
そしていつの間にか別れた・・・
レコードを、いつの間にか紛失していて、この前、CDをレンタルし、久しぶりに聴いた。やはりいい。
KAMAKURA(1985年)
このころ僕は、仕事人間になった。
責任ある立場におかれたこともあるのだけど、すべてを犠牲にして働いていた。
朝から晩までひたすら働いた。睡眠時間も3,4時間が1カ月続くというのも珍しくなかった。
1カ月ほぼ休みなしということも何度もあった。
1人暮らしをしていた僕は、自炊もままならず、当時ようやく増え始めたコンビニで出来合いのものを買ってきては食べて生き延びていた。
洗濯物はたまる一方。
からだや頭だけでなく、生活が悲鳴を上げていたのだと思う。
そんなとき、彼女に出会った。
まるで僕の悲鳴を聞きつけたように僕の懐にスーッと入ってきて、僕をぎりぎりのところから救い出してくれた。
今の奥さんだ。
自分を犠牲にし長時間働くやつがすごいやつ、という僕の認識は、自分の生活を犠牲にしないで、効率よく働くやつがすごいやつ、と改まった。
彼女との時間をとろうと思うと、仕事は時間内に、効率よくこなす必要があり、集中してやると能率もあがり、決断も速くなる。
僕は彼女といる時間を大切に思い、彼女もそれに応えてくれた。
サザンの「KAMAKURA」は、僕が彼女と付き合い始めたころにリリースされた。
2枚組のアルバム。当時流行りはじめていたWALKMANに入れて持ち歩いても聴いた。
始めのうちのドライブデートでは、だから、「KAMAKURA」を何度も聴いていた。
そのうち、彼女が、サザンのほかの曲も聴きたいと、グローブボックスから別のアルバムのカセットを取り出し聴き入る。
今では、彼女も長年のサザンファンだ。
ちなみに、息子もサザンのファンで、近頃ではオヤジを差し置いて、サザンの年越しライブに行ったりしている。
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